特にお昼時に混み合っていたフランスパンの人気店エスプリ・ド・ビゴがなくなることをきっかけに、玉川田園調布で、pateのお店を営む林のり子さんの呼びかけで、この町の過去から未来に向けての変化について意見交換する会が催された。
町の将来イメージについて、近隣の人たちで話し合う機会は案外多くはない事にあらためて気づいた。
町が変化するスピードは、20年とか30年単位の時間経過であり、多くの人の記憶が重なる部分の変化を通して見えてくるものである。
今回は特に自由が丘から田園調布へ向かうバス通り沿いに焦点を当て、1965年に環八の玉川田園調布の交差点に「VAN-FAN」ができた頃からの暮らしの移り変わりを語り合うことを通して、この町のセンター(中心)の可能性について話し合えたことが面白かった。
林さんは、「エスプリ・ド・ビゴ」と「パテ屋」と「スーパー田園」がこの町に新しいライフスタイルを生み出したのではないか、地形(高低差)が生み出すこの町の風景の特徴について強い関心を持って語った。以前アンケートでも「東横線と環八の陸橋の上に360度見渡せるカフェ」を提案していた。玉川田園調布の地形が西に開けている事がいつも意識にあるという。
林さんと同じ頃入居されたCさんは「東京オリンピックの時にのんびりした桜並木が環八として広がって行き来がしづらくなり、そこからちょっと意識の中で田園調布と玉田の違いが出てきたんじゃないかな?環八の向こうになりますが、玉田のシンボルといえばやっぱり浄水所で、昔は中を見学できた」
町についての思いは本当に人それぞれである。
僕は、現在のデイ・ホーム玉川田園調布が、かつて「子どもの家(ユースセンター・サン)」と呼ばれ、沢山の子どもたちに親しまれた場所であり、その後暫定的にコミュニティ・ガーデン(1992~1996)であった時を経て、現在では「地域の福祉を考える楽多の会」、「在宅ケアを語る会」、「NPO法人玉川まちづくりハウス」等の活動によって地域に開かれた場として蘇った事について、関心があり、どこかで書いたことを思い出していた。
デイ・ホーム玉川田園調布がこのまちの中心の一つであることは今では確かなことだろう。
そして、今またデイ・ホームの近くのバス通り沿い 元エスプリ・ド・ビゴの店舗辺りから小さな変化が起きようとしている。
その場所がこの町の新しい中心として育っていくことができるように多くの人で見守っていきたいと思っている。(伊藤雅春)
(玉川まちづくりハウスニュース「みんなでホイッ!」2020年8月号より)