世田谷のまちづくり これから

 玉川まちづくりハウスが活動を開始したきっかけの一つでもある「世田谷まちづくりファンド」。その設立から25年が経ちました。世の中の仕組みが変わってきたこともあり、この仕組をもっと活かしたいと活動を始める方々もいらっしゃいます。林泰義さんからの報告です。

 1.世田谷まちづくりは新時代を拓くでしょうか
 今年(2017年)7月22日(土)、二子玉川ライズオフィスで”世田谷コミュニティ財団設立キックオフ会”が公益信託世田谷まちづくりファンド「キラ星応援コミュニティ部門」とともに同時開催されました。読者のみなさんにはこの財団設立は初耳かもしれません。
 公益信託世田谷まちづくりファンドは1992年設立以来区民の自発のまちづくりの資金支援の柱の役を果たしてきたことはご承知の通りです。公益信託方式は区民、企業、区役所による資金の出捐による基金運用の果実を上記の資金支援にあてる仕組みです。ところが銀行預金などの金利がこの25年で超低利にシフトした結果、果実が激減し、この資金づくり方式そのものが見直しを迫られたことになりました。自治体・国の財政はひっ迫しており、これに期待することは難しいのが今日の実情です。
 このため“世田谷コミュニティ財団”は世田谷の多様な区民・企業、そして社会的活動主体が協力し、新たな資仕組みを含む“まちを支える生態系を創出すること”を目標に設立するものです。
このアクションは世田谷まちづくりの25年余が育んできた幅広く実に多様なまちづくりびとたち、歴代のファンド運営委員・多様な賛同者などに呼びかけて船出したばかりで、皆さんにもご支援を期待しています。

 2.世田谷まちづくりの新たな時代を創ることを目標に
 1975年(昭和50年)世田谷区羽根木公園で市民自発で始まった冒険遊び場活動は、今日も市民活動のシンボルとして区内だけでなく、全国各地に広がっています。
 同じ1975年には、自治法改正によって東京23区が特別地方公共団体になり、新区長が初の公選制度により選ばれた年でもあります。世田谷区では企画部をカナメとする計画行政システムが、この時に新しい一歩を踏み出しました。市民参加の新たな世田谷区基本構想・基本計画が次々に誕生しました。1980年代には区役所の都市デザイン室が新設され市民参加の社会的仕組みの創出に取り組み、世田谷区まちづくり条例が誕生しました。90年代には世田谷区まちづくりセンターが生まれ、公益信託せたがやまちづくりファンドが創設されました。その後、2006年4月には一般財団法人「世田谷トラストまちづくり」が設立されました。これらの仕組みが支える果実は、私たちの身近な活動拠点や市民の多様な居場所として区内各地に広がっています。しかし、先に述べた公益信託方式の失速が、世田谷のまちづくりパワーに暗い影を落としています。世田谷まちづくりをこの危機から脱出させなければなりません。そのため「世田谷トラストまちづくり」を一本目の柱とすれば、市民主体の発想による”まちを支える生態系をつくる世田谷コミュニティ財団”設立を二本目の柱とする新たな協働の時代への出発が呼びかけられたのです。子育てから、多様な障がい者、高齢者の日常の暮らしを支える、御近所のネットワークをいっそう豊かな楽しい、そして頼りがいのあるものにしていく新たな協働の仕組みです。(玉川まちづくりハウスニュース2017年11月号より)

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