人ひろば1「居心地のよい暮らしの場をつくりましょう」 富田玲子

富田玲子(とみたれいこ)
1938年、東京都生まれ。建築家。象設計集団の創始者の一人。象設計集団東京事務所所属。
主な著書
『小さな建築』みすず書房
『空間に恋して』工作舎

居心地のよさとは

 みなさまこんにちは。今日は人ひろばという企画の第一回目ということと、家の近くのこのような場所でお話するということで、非常に緊張していますがよろしくお願いいたします。
 今日のテーマは「居心地のよい暮らしの場をつくりましょう」としています。暮らしの場というのは住宅に限りません。例えば学校の先生なら学校に一日中いるし、オフィスビルに朝から夕方までいる人もいる、美術館の学芸員ならだいたいいつも美術館にいる、つまりほとんどの場が暮らしの場になるのです。宮本三郎記念美術館が居心地がいいかどうか、実は今日じっくりチェックして回りましたが、大変居心地がいいと思いました。まず窓から樹木が見えるのが気持ちいいのですが、あれが見えると見えないとでは全然ちがうと思います。入ってきたエントランスからすっと庭と光が見えて、二階にのぼりきったところに小さなロビーがありますが、もしそこにテラスが出ていてお庭に直接出られるようになっていたらもっともっとよかったなとか。もし今後何年後かに改装のチャンスがあったらそれを実行していただけると、100倍くらい魅力的になると思います。
 一般的な美術館は大きすぎてしまって、作品がいくらよくても、いるだけで疲れてしまうというところが世の中にたくさんあるのです。お金をたっぷりかけて素敵につくっても、なんか疲れてしまう。ここぐらい大きすぎない美術館というのが居心地のよさの第一条件かなと思いました。日常的なまちの中にふっとあるというこの立地もとてもいい。わざわざ遠くまで行かなくてもそこにあるということ。それから脇の細い坂道が風の道になっていて、夏の暑いときもとても涼しい。それもいいなと思うところです。居心地がいいということは、スケールの問題や、床が木の素材であるとか、庭の緑が見えるとか、いろいろな要因があります。私たちが見たり耳にしたり匂いをかいだり、味わったり、いわゆる五感がのびのび働くときに居心地よく感じられるのではないかと思うのです。

居心地の悪い空間

 では今日の居心地よい暮らしの場の本題に入る前に、ちょっと居心地の悪い空間の例を見てみたいと思います。一つは「わくわくしない枠枠建築」。みなさんまちでよく目にすると思いますが、縦縦横横の枠枠でできているビル。なぜわくわくしないかというと、一つは巨大すぎる。一番上に行こうと思うと絶対足では上がれないし、エレベータに乗ると気分が悪くなる。大きすぎると自分が小さな点になってしまって、道から見ても自分の部屋がどこかもわからない。ここはどこなんだ、自分はだれなんだ、窓が開かないので今はいつなんだとかわからなくなってしまう。もし飛行機が突っ込んできたらどうやって逃げるか。9.11のとき逃げようとして、何階か下りるうちに膝が動かなくなって座ってしまって犠牲になった方がとても多かったと聞きます。肉体的な能力をはるかに超えたものが技術の力によってできてしまう。外から見ても中の人が見えない。中から見ても道を歩く人も見えない。音が聞こえないので雨が降っているかもわからない。隣にビルが建ってしまうと空も見えない。いいことは一つもありません。能率のよいような労働環境をつくって利益を上げようとするオーナーにとってだけいいのかもしれない。そういう記号のような場所に一日中いなければならないのはひどく残酷なことだなと。私には超高層ビルが墓石やアウシュビッツに残された煙突のイメージと重なって見えてしまう。
 ある新聞社で、以前はごちゃごちゃした書類の山の中でみんながそれぞれの洞穴のような居場所をつくってやっていたのが、このようなビルに移転して非常にすっきりして一見素敵になってけれど、居場所がなくなって非常に疲れるようになったというお話を聞きました。

こっそり、すっぽり、ぬくぬく

 では居心地のよい暮らしの場とはどういうものか。今日は12のキーワードから考えていきたいと思います。まず「こっそり、すっぽり、ぬくぬく」。例えばだっこひもにくるまれている赤ちゃん。これは一枚の布でできていますが、これにすっぽりくるまれている赤ちゃんは母親の匂いがして、心臓の鼓動が聞こえて暖かくてぴったりする場所にいる。それが赤ちゃんの安心感につながる。建築の原点というのはこういうことにもあるのかなという気がして。
 ここから後は象設計集団が計画に携わったものを材料にしてお話します。これは用賀プロムナードの小さな橋の下に子どもがおさまっている写真ですが、ちゃんと自分のサイズにぴったり合う場所をみつけて居心地よさそうに収まっている。これは埼玉県の笠原小学校ですが、柱の段々になったところに子どもが腰かけてそこがお気に入りの場所になっている。廊下の一角に子どもしか入れない大きさの椅子があるコーナーが設けてあり、そこに入っておしゃべりをする。この学校ははだしで暮らす学校で足洗い場がいっぱいあるんですが、そういう場所が社交の場になっています。高い木の上や、クラスごとの玄関も社交の場になったり。
 葛飾のうらら保育園では、散歩車に3人ずつ入って楽しそうに収まっている。もう少し子どもが多い場所では、広島県矢野南小学校では板のデッキの上に子どもがたむろしている。笠原小学校には運動場をながめるロイヤルボックスっていう仕掛けがあって、大人は入れない大きさです。
 これは私の実家で阿佐ヶ谷にあるドーモ・アラベスカです。20人くらい集まれる場です。
 これは台湾の川で一年に一度、端午の節句のときの竜の船のレースがありまして、川岸にびっしり5万人くらいが集まります。
 小学校の設計をしたときには、子どもの体の大きさを図って、いろいろな動作によってどんな場所ができそうかというスケッチをつくりました。3、4年生の教室では吹きさらしの廊下に面して電車コーナーという小さなスペースをつくり、反対側は水を使ったいろいろな作業ができる場とその向こうに中庭があります。
 石川県の九谷焼美術館の前庭には、池の水を循環させていろいろな大きさの滝をつくりましたところ、赤ちゃんは小さい滝へ、もう少し大きな子は大きな滝へ、自然に居場所が決まっているような感じに見えました。

ぺたぺたひたひた、ふわふわ、どろどろ、いぼいぼ

 次のキーワードは「ぺたぺたひたひた、ふわふわ、どろどろ、いぼいぼ」。先ほどのはスケールの多様性、いろいろなスケールがあるといいなという話でしたが、今度は手ざわり、足ざわり、尻ざわりのために素材をどう選ぶかという話です。葛飾のうらら保育園では、椅子を使わない、床にぺったんと座る昔ながらのちゃぶ台スタイルをとっています。畳敷きの室内があり、縁側があって外に板敷きのデッキという3つのエリアの段階的な変化があります。半屋外のデッキで昼寝したり作業したり、子どもって半屋外がとても好きですね。
広島の矢野南小学校では、広島県産の木をたくさん使いましょうという県の要望もあって、教室と体育館の壁と床に広島県産の木を使いました。そうするとペタッと座りたくなるんですね。小学校の設計で一番大切なのは素材を柔らかい木とか土とかにすることかなと思います。杉板の床を子どもたちが雑巾がけします。2年生の教室の一角には畳の小上がりがあります。
 葛飾区の特別養護老人ホーム「清遊の家」を設計したときもなるべくたくさん木を使いました。一般的には木だと臭いが気になるといって新素材を使うところが多いのですが、木を使っても臭いの問題は今のところありませんし、ちょっと腰かけてみたくなるのはやはり木でできているからかなと思います。この老人ホームは完全個室ではなくて、一人ひとり場所はあるけれどなんとなくつながっているという関係をつくっています。大きなお家あるいは小さなまちという感じです。室内は板敷きですが半屋外も板敷きのデッキでだれでもいつでも外に出られるようになっています。
 岐阜県の多治見中学では平行する校舎の棟の間に大きな板敷きの中庭があって、そこは上履きで出られるようになっていてやっぱりぺったり座りたくなる。
台湾の冬山河親水公園ですが、池の中に木陰の板敷きの浮島があって、人はどうしてもそこに行きたくなる。いつも人が休んでいます。
 笠原小学校では一年中ほぼはだしで過ごしていて、ここはほんとにまっ平らな地形なんですが、そこにちょっと2メートルの丘をつくるだけでみんなの人気の場所になる。これは「お山をつくってそこでお弁当を食べさせたい」という先生方のアイデアです。
広島の矢野南小学校には中庭にどろんこの砂の庭があります。今はどろんこをいやがる子どもも多いようですが、小さいときに泥や草を足で踏み分けたり、コンクリートの熱さを足で感じて、違いに気がつくことも大切かなと思っています。
用賀プロムナードでは敷瓦を使っていますが、ピカピカのタイルよりは柔らかい感じがして、ぺたりと座りたくなるようなところがあるのかなと思います。
埼玉県の進修館という公民館にある木の椅子は、背中にいぼいぼがついていて指圧されるような感じがして気持ちいいんです。座面がぽこぽこしているものもあって座ると気持ちいい。

じゃぶじゃぶ、ちょろちょろ、ざあざあ

次のキーワードは「じゃぶじゃぶ、ちょろちょろ、ざあざあ」。水はだれでも大好きですね。
用賀プロムナードの水路はいつ行っても感心するほどきれいに掃除されていて、寒くない季節には子どもたちが水に入って遊んでいます。ここは瓦と大きめの砂利を使っているのですが、砂利の細かさが柔らかさに通じる仕掛けになるかなと。大きな岩とはちがった柔らかさが出てくると思います。
台湾の親水公園の道もやはり砂利と草とでできています。水はあまり深くないのですが暑いときは人気の場所になりますね。ここは土手の向こうに川が流れていまして、元貯木場を改造した計画なんです。円錐の山が5つ水から立ち上がっていて、その向こうに大きな噴水が上がるイベントがあってこの噴水を台湾の人が「熱情的水柱」と書いていておもしろかったですね。
兵庫県のかんなべ高原温泉では、打たせ湯があったり、砂利を敷いた足湯や温室の中の泡風呂があったり、水の流れになったり泡になったりといろいろな水とお湯の要素を活かしたいと思ってつくりました。大分県直入町の温泉では、向こうに流れる川と温泉を近づけることによって向こうは流れていてこちらはあふれているという水のちがう表情を演出しています。石川県能都町では海の見える露天風呂をつくりました。海があってお湯があるというのがおもしろいかなと。京都府丹後町の温泉でも浴槽の向こうに海が見えるようになっています。
水は氷にもなります。十勝の然別湖では、氷を使った構造物のワークショップをしました。マイナス15度とか20度になるような地域ですのでつららを使った構造物とか池の氷を四角く切り出したブロックを使ってドームをつくることをしました。

ぐるぐる

次のキーワードは「ぐるぐる」。同心円やうずまきの中心に居ると、ここが世界の中心という気がして嬉しいのではないかと思います。
神奈川県磯子のプロムナードは大きな国道の脇の歩道を広場にしたものです。丸石を円錐状に積み上げたところの中心で子どもが遊んでいます。
江東区の水上バスが着く船着き場にはたくさんの波紋のような模様を石でつくりました。同心円やうずまきのようなものを自分の周りにつくりたいという希望のようなものはみんな持っている。
十勝は私たちの事務所がある場所の一つですが、そのすぐそばの神社の庭で、夏のワークショップに学生さんがたくさん来て庭を渦巻き状に掘って井戸をつくり、そこでスタッフが結婚式をしました。
仙台の河畔教会墓地では、牧師様のご希望で、キリスト教がどのように発展してきたかをイメージし、教会を中心に波紋が広がって重なっていくような模様になっています。
宮代町の進修館では丸い庭の中心から同心円の波紋が何重にも広がって地球上のはるかかなたまで続いていくというよくばったイメージです。中にある町議会の会議場は32人の議員さんが丸く座れるように円卓がつくられています。世界の中心で議論しているのです。円卓になると全員が最前列になりますからとても活発な議論が交わされるようになったそうです。いかに空間の在り方によって人の行動や考え方が変わってくるかということを知るよい機会になりました。円卓は分解して片づけられるようになっていて、会議に使われない場合は一般の人も使えるようになっています。つい最近、庭にあった老朽化した建物が壊され、庭が半円から完全な丸になったので、空をまるごと抱え込もうという当初のイメージにより近づくことになりました。近年進修館はコスプレイヤーたちに大人気です。同心円が人を吸いつけているのではないかしら。

ぐにゃぐにゃ、うね~うね~

次のキーワードは「ぐにゃぐにゃ、うね~うね~」。台湾の県庁舎では、向こうに見える山々のうねうね~とした感じに合わせたいと思って、庭に浮く2段の人工土地のラインがやっぱりうねうねするようにデザインしました。
台湾冬山河親水公園では、水の神様といわれる龍の頭と体をイメージしてつくった構造物がやはりうねうねと置かれています。
進修館の机もやはりぐにゃぐにゃとしたラインにつくられています。
用賀プロムナードでは「蛇の川」と呼ばれている小さなぐにゃぐにゃとした流れがあります。
鎌倉にある「ドーモ・セラカント」という住宅では、キッチンや天井にぐにゃっとしたラインをつくりました。

ぎざぎざ、だんだんだん

次のキーワードは「ぎざぎざ、だんだんだん」。今度は暮らしのための水平面の話です。
冬山河の親水公園では階段面に人が座っていますが、だんだんがあれば必ず椅子になりますね。
笠原小学校では2人しか入れない小さな小屋があって、そこに至るまでにだんだんがついていますがそれは単なる階段ではなく子どもたちの社交の場になっています。廊下の柱にもだんだんがついていますが、それは椅子になったり植木鉢を置いたり、だんだんの水平面があると必ずなにか行動が起こります。
進修館ではすり鉢状の広場の周囲にたくさんの水平面を段状につくっています。真ん中で何か行われているときにただの丘よりはずっと座りやすい観客席になります。地形に合わせてなだらかにつくるのもいいですが、水平垂直をつくることで別の行動が生まれます。
九谷焼美術館の前庭には棚田のような緑の水平面をつくりました。斜面を暮らしの場にするには、棚田のように水平の重なり合いをつくっていくわけですが、矢野小学校ではその組み立てを使ってだんだんのデザインにしました。暮らしの場というのは家と庭があるわけでして、家と庭、家と庭というだんだんの組み立てになっています。
鎌倉山の住宅ドーモセラカントでは丘の上の地形なので地形なりに建てようとするといくつかの水平面をつくらないとできないんですね。いろいろなレベルをつくって、階段をのぼりきったところに書斎をつくりました。
ぎざぎざのほうですが、帯広市の森の交流館では屋根をぎざぎざに設計しその上に空が広がると、屋根と空の噛みこみ感が、積極的に噛み合ってる感じになるかなとデザインしました。

もっこり、もこもこ、こんもり

次のキーワードは「もっこり、こんもり」。建築の内側と外側がどうつながるかという話です。
船橋の徳田邸という住宅では、和室の向こうにもっこりした丘が見えますが、実はその丘の中にこんもりとひとつ、一部屋がありまして、建物が厚い物体でおおわれているという形です。
十勝の土木事務所の本社ビルでは、やはり地球がふくらんで山みたいになってその中に部屋があります。雪になると完全に埋もれてしまって穴倉になります。
かんなべ高原温泉では、付近の風穴という穴の形をまねた風穴風呂というのをつくりました。光は上からだけ入って中はドームになっているお風呂です。
親水公園では、もこもこにょきにょきとした円錐形の山をいくつもつくりました。
宮代町スキップ公園では、モコっとした山からぽろっと落ちた塊をイメージした玉をいくつか置いてみました。
大分県湯布院の美術館では、やはり山をつくりましてその中に常設展が収められています。湯布院盆地の真ん中あたりに美術館があるので、山に登ると周りの山並みと近づくような感じが出てきます。

だるまさんがころんだ、もういいかい まあだだよ

次のキーワードは「だるまさんがころんだ、もういいかい まあだだよ」。これは柱の陰に隠れるイメージで、柱をいっぱい立てるのもいいなあといつも思っています。私たちが太古の昔、森に住んでいたときの記憶が体に残っていて、森の中にいるような安心感が生まれるのではないでしょうか。
沖縄の今帰仁公民館では、風が通り抜ける半屋外的な場所に柱がたくさん立っています。いくつかの部屋を囲むように赤い柱が250本くらい立っている柱の森をつくりました。
宮代町進修館もやはり柱だらけ。笠原小学校や矢野南小学校でも廊下にたくさんの柱をつかっています。柱は子どもが寄りかかったりするよりどころになるようです。
かんなべ温泉にはいろいろなお風呂があるのですが、その一つに柱の風呂があります。湯船にたくさんの柱が立っている。構造上に必要なものではないのですが、森の中にいる気分も悪くないのではとつくってみました。
沖縄の海浜公園でもたくさんの柱を立てていますが、できあがってから歩いていたらおじさんが「柱の影に入ると涼しいから入りなさい」と教えてくれました(笑)。

さらさら、すけすけ、あいまいもこ、うちはそと そとはうち

次のキーワードは「さらさら、すけすけ、あいまいもこ、うちはそと そとはうち」。
沖縄の名護市庁舎では、家々の屋根の重なりから市庁舎のパーゴラへ自然に、あいまいに、つながるような景色が生まれています。
沖縄の久米島ホテルでは、ロビーの天井にいくつかの穴を開けまして光がまっすぐ降りてくるようにしました。建物の内と外を区切っておいて、そこに穴を開けることで光の束が強調されて見えることがおもしろいと思います。
山梨県の白洲ワークショップでも湯布院美術館でも竹のワークショップをしたのですが、湯布院では近くの竹を取って来て干すとこからやりまして、企画展示室の傷んだところを修復するワークショップをしました。
はだしで生活する笠原小学校では、運動場があり、その向こうに芝生の庭があり、その向こうに半屋外廊下があります。そこから教室に行くのですが廊下はふきさらしでどこからでも入っていける。内部―半屋外―外部の空間があいまいに連続しています。アジアの建物とは本来そういうものだったのではないかなと思います。半屋外の廊下はとても魅力的な場所で、暑くなるとそこで授業したりします。風が抜けてとても気持ちがいい。学校の一部に高齢者の集まるサロンがつくられていて、そこに子どもたちがしょっちゅう遊びにきている。サロンなのか学校なのかそのへんがわからなくなってるあいまいもこもおもしろいと思います。

もじゃもじゃもじゃ

次のキーワードは「もじゃもじゃもじゃ」。緑で覆うという話です。名護市庁舎ではブーゲンビリアのつるが上まで伸びて上部を覆っています。隣に保育園があって子どもが毎日遊びに来るんですが、市庁舎が保育園になったようなあいまいな関係になっています。台湾の宜蘭県庁舎は、本当に緑の庭に包まれていてその先の地球が盛り上がったようになっているところの中が歴史資料館になっています。丘をつくって穴倉をつくってその中に光を入れ、緑でつながっていく。宮代の進修館では、宮代は巨峰の産地ですのでブドウで壁面を覆ってしまおうと計画しました。秋にブドウ祭を行うんですが、子どもが肩車にのって収穫します。この巨峰はワインになっています。光路にツタが生えていて植物の力はすごいなと感じます。
矢野南小学校では屋上に田んぼをつくりました。近所のお百姓さんの指導で田植えから稲刈りまで子どもたちがやっています。屋上の田んぼの周りは山々に囲まれていて不思議な空間になっていますね。

いろいろいろ

次のキーワードは「いろいろいろ」。今どきの建築は色がないのが寂しいなと思っていてなるべくたくさんの色を使っていきたいなと思っています。台湾の親水公園では瓦屋さんがつくった色のタイルを使いました。武蔵野の老人ホームでは壁をサツマイモ色に塗りました。進修館では廊下をブドウ色に。常滑のトイレットパークでは特別に焼いたカラフルなタイルを使いました。十勝の土木会社では十勝の素敵な空の青に映えるように、丘の穴には黄色とピンクを使いました。

なぞなぞ くすくす、うふふ なつかし~い

次のキーワードは「なぞなぞ くすくす、うふふ なつかし~い」。記憶、思い出、連想、冗談という要素がとても重要かなと思っています。
笠原小学校では、子どもたちが一枚ずつガラスに描いた絵を建物にはめ込んでいます。20年後に子どもを連れて訪れたら自分の描いた絵がそこにある。天井には星座を描いていますが、何年生のとき教室にオリオン座があったかなという思い出になるかもしれない。柱にはいろはがるたとか、都道府県名、宮沢賢治の詩などいろんな文字が打ち込んであります。
帯広の北海道ホテルでは、地元の木工作家がつくったフクロウやクマの彫像をあちこちに置きました。
用賀プロムナードの地面のタイルには10メートルごとに百人一首が彫り込まれています。床のパターンは万葉集の水の文様からとっていますが、この下に矢沢川という川が流れていまして、その川の記憶をきざむ意味で文様と、その横に川の水を浄化して循環させる小さな人工的な流れをつくっています。
名護市庁舎の壁面には獅子、シーサーが56個乗っています。56の字(あざ)がありますので、その字ごとの一人の職人が1体ずつつくりました。
石川市の海浜公園では、ぞうさんのようなかたちがどんどんつながっている滑り台をつくりました。設計事務所の名前が象設計集団なのでこの写真を最後のしめとしました。私たちは集団という名前の通りみんなでアイデアを出しますが、一つの頭脳から出てくる考えだけでは退屈だと思うのです。建物を使う人はいっぱいいるんだから、つくる人もいっぱいいたほうがおもしろくなるんじゃないかなと思っています。

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