「自由が丘で出版社をするということ」 三島邦弘

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三島邦弘(みしまくにひろ)
1975年、京都生まれ。大手出版社勤務ののち、2006年、ミシマ社を設立。現在は拠点を東京自由が丘と京都に持ち、新しい形の本づくりを発信している。

会社設立のきっかけ

 ご紹介の通り、私の本社は偶然通りかかってもほぼ見ることがない場所にありまして、自由が丘の学園通りを曲がって本当に細い路地の奥に建っている一軒家です。そこに至る経緯を簡単にお話しますと、それまで出版社2社に勤めていましたが、最初の会社では本づくりを非常に楽しんでいました。しかしある日突然、「旅に出よう」という内なる衝動を抑えきれず、「海外進出のため」という辞表を提出して会社を辞め、旅に出ました。帰って来てから声をかけてもらってある出版社に入りましたがそこでの環境になじめず、悩んでいたある日の深夜、「自分で会社をつくりたいんだ!」とひらめきました。それまでまったく考えていなかった選択肢だったのですが、急に前が開けたような気持ちがして、飛び起きてダイニングのテーブルでノートに次々湧き出てくるアイデアを書き留めました。「原点回帰の出版社」ということ、WEBとの連携など、そのときのアイデアが今日のミシマ社の土台になっています。そこで2006年10月、自由が丘のビルの一室で一人で会社を始めました。そのあと営業のワタナベが入りまして、「直販」という書店に直接卸すというスタイルの販売法を試みることになりました。通常出版社が書籍をつくると「取次」という卸に卸して、そこから全国の書店にいきわたるというかたちになっています。自分が新しい出版社をつくったときは、これからの新しい流れをつくらなければならないと思っていましたし、とにかく小さくやる!ということを当初から目標に掲げていました。インタビューで目標を聞かれると「会社を大きくしない」と答えていたくらいで(笑)。いまの株式制度では会社はほっておくとどんどん大きくなろうとするものなのです。しかし、出版社の一番大切なことは「一冊のおもしろさを大切にする」ことだと思いますし、そこでしかつくれないおもしろさ、三島社がおもしろいと思うものを全力でつくったときに、「ああ、そういうおもしろい本を待っていた」という方がいたら幸せなことだし、そういう本づくりを継続的にやっていく。そのためには会社をあまり大きくしないほうがいいだろうと最初から思っていました。そこで本屋さんに一店一店、ミシマ社はこういう本を出しますと案内し、本屋さんの側は「これならうちのお客さんも気に入る」と思って仕入れるという、直販というシステムをやっていこうとしていたんです。
 そこで書店の店員だった木村と出会いました。木村は会社に出入りするようになり、本に付けるPOPをつくってくれたのです。それが紙に描くのではなく、なんと糸と針を取り出して縫い始めた。彼女いわく糸で縫うとほんの少しだけ立体感が出る。それが書店に置かれたときに「ここに何かおもしろそうな本がある」という雰囲気を醸し出すと。それに僕は本当に感動して「これだ!これを待っていたんだ!」と(笑)。そこで一緒に働くことになり、直販営業を始めました。そこから大きくしないと言いつつ、半年の間に社員が6人になってしまったんです。ワンルームが手狭になり、オフィスを探し始め、見つかったのがこの一軒家でした。当時で築47年。ここからミシマ社が動き出したといっても過言じゃないと思います。一階二階とも畳の和室で一階には4部屋あり、各部屋に水場と工具置き場があります。昔、下宿屋だったんですね。玄関から入ってすぐの部屋に丸いちゃぶ台がありまして、そこですべての企画会議、毎日の食事、打ち合わせなどが行われます。ちゃぶ台は学芸大学の古道具屋さんで見つけました。訪ねてきた方がよく言われるのが「ずっといてしまう」「気づいたらくつろいでる」と。密閉性が非常に低いので、それがオフィスビルとちがうとこかなと思います。庭の木に来る小鳥の声を聴きながら働いているというのが今のミシマ社のオフィスです。

なぜ自由が丘か

 自由が丘で出版社っていうのは初めてじゃないかなと思っています。たいがい出版社は神田とか、中央線沿線にも少しありますね。自由が丘に出版のイメージはないと思いますがこれだけはお伝えしたい。自由が丘は出版の聖地です!ミシマ社は京都にもオフィスがありまして、行ったり来たりしているんですが、自由が丘に来ると体が躍動しますね。企画もどんどん思いついたり。一つはずっとここで創業時からがんばってきたという思いがありますが、もう一つはそもそもなぜ自由が丘に居を構えたかというと、最近は活字離れなどがニュースになっていますが、僕はまったくそう思っていない。いい本はたくさんあるし、なぜそのことに注目しないのか。そういう新しい流れをつくろうとするときに、出版の中心地ではなくあえて新しい場所でやろうと思った。たとえていえば、野球をやろうというときに野球場ではなく、ほかの場所でめっちゃ速い球なげてるやつがおるよ!っていうのでそっちがだんだん野球場になっていくような、そんなイメージです。出版とはこういうものだという空気がいろいろなことをやりにくくしている。そういう意味では自由が丘で本当によかったなと。特に一軒家に移ってからは、あの辺りは民家なので生活者と混然一体となってやっていけるところがいいなと思っています。出版の活動というのは高所から言葉を投げつけるものではなく、市井の一人の人間のことがらから拾わなければいけないものがたくさんあってそれを形にしていく。そういう意味でも今日もオフィスからここまで歩いてきましたが、改めてつくづくいいまちだなと思いました。
 僕がつくった本の中で「銭湯経済」という言葉がありまして、平川克美さんという方の提唱しておられる、半径3メートル以内に町屋と喫茶店と銭湯がある暮らしのことをそう呼んでいます。自由が丘にはおそらく1軒だけ銭湯が残っていますが、自由が丘で銭湯を成り立ちにくくしているのはやはり土地の高さですね。しかし最近若い人がパン屋をしたり、カフェを開いたりしていますので、新しい銭湯もできたらいいなと思っています。
 先ほど京都にもオフィスがあると言いましたが、やはり東京一極集中ではない流れをつくりたいと思っています。東京はおもしろいし、仕事もしやすいのですが、一方で東京だけでいいのか、という思いは常にあります。今まで旅してきた経験からも、それぞれがそれぞれのまちで生き生きした顔を持っているということでないとおもしろくない。先月の新聞で各県の人口流入出を見ますと、東京圏だけが11万人の流入がある。京都や大阪も人口が減っている。メディアの仕事を見ると出版社というのはほとんどが東京にあるんですね。僕は自由が丘でやっているからこういう本ができているので、その土地の持つ力や空気は大きい。東京でやっていると知らず知らずのうちに東京的な価値観になっていくと思います。それは否定すべきことではありませんが、それだけが日本ではない。そこでもともとの地元であった京都でも活動しているというわけです。経営は当然浮き沈みがありますが、ある一点にとらわれないということが非常に重要で、儲かろうが儲かるまいが継続的に仕事ができていくということが一番大切です。
ちゃぶ台.JPGミシマ社のちゃぶ台

原点回帰

 僕は本が本当に好きで、今まで触れてきた本のどの一冊が欠けても今の僕はないと思っていますので、その本に関わる仕事をやっていると、思っていた以上に本を愛している人がたくさんいて、その人たちの生の声、血の通った声をダイレクトに聞くことができる。WEBの活動を通して日本全国の方々と会う機会を持てたり、今日のような場でお話させていただいたりして、読者の顔が見える関係を持てることがすごいエネルギーになっています。創業から掲げている「原点回帰の出版社」というのは、思いを込めて本をつくり、それが形になったときに「この本を待ってたんだ」と思ってくださる読者がいて、それをしっかり届けていく。それを読んでよかったという声が、僕らの企画や発想のエネルギーになっていく。思いが循環していくということが会社をつくってよかったと一番感じるところです。