「世田谷の水の道について」 宮下正雄

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宮下正雄(みやしたまさお)
1934年、東京都生まれ。NEC勤務ののち、定年後は(一財)世田谷トラストまちづくりの活動にボランティアとして関わる。世田谷の水の研究をライフワークの一つとしている。

世田谷の川

今日は世田谷の水の道についてお話いたしますが、まずは世田谷の川の地図をごらんください。川だけではなく緑道も描いてあります。緑道はかつて水が流れていたということで、そういう意味では水の道といえます。水の道というお話はかつて川であったところも含むということです。大きく分けると多摩川系と目黒川系ということになりますが、多摩川系では、野川とその支流の仙川、谷沢川、丸子川、その支流の谷戸川という水系があります。目黒川系では北沢川、烏山川、蛇崩川、これらは今全部が緑道になっていまして目黒川にかつてつながって流れていたものです。それ以外に今は緑道という形で残っている呑川というのがありまして、それにつながる九品仏川も緑道になっています。呑川は大田区に入りますと水のある川になり東京湾まで流れています。

川と関係の深い下水道

 ここでいろいろな川の流れと関わりのある下水道の話をします。下水というのは雨水と汚水ですね。汚水は生活排水と工場排水からできています。下水方式は合流式と分流式に分かれまして、合流式とは雨水と汚水を一本の管で流すもので初めから下水の中に両方が入っているものですね。分流式は雨水と汚水を別の管で流すもので、雨水は川があるところで川を利用して流してしまうというシステムです。合流式は大雨時に環境汚染を起こしやすく、大雨のときに下水処理ができず溢れてしまうという問題があります。分流式は管を二本通すのでコストがかかるという欠点があります。それぞれの欠点の対策として、合流式では現在は雨水をなるべく下水管に入れないようにする、大雨時は雨水を一時的にどこかに溜めるようにするようになっています。分流式の場合は短時間に大雨が降った場合、河川の氾濫の危険があります。そこで河川の護岸を工事する対策がとられています。
  世田谷区の上馬四丁目に小泉公園という公園がありますが、そこの地下に大きな貯水場をつくりまして、雨水を一時的に溜めることができるようになっています。中目黒の下流の都営住宅の地下にも貯水池がつくられています。実際年に2、3回はそこに水を入れることがあるそうです。環状七号線の地下にもそのような調整池がいくつかつくられています。
 それとは別に清流復活という話がありまして、呑川や目黒川は世田谷区内では水が流れていないのに大田区や目黒区に入ると水が流れています。これは落合に水再生センターという下水処理場がありまして、内陸にある下水処理施設ですが、そこでの処理水を使って呑川と目黒川に水を流しています。排水をきれいにして水源の一つとして使おうという試みです。これは清流復活事業として1995年くらいから取り組まれてきました。世田谷区と目黒区は羽田のそばの森ケ崎下水再生センターで下水の処理を行っています。そこの水をこちらの川に使うことはできませんので、落合の水を使っているというわけです。

谷沢川

 では個々の河川についてのお話をしていきましょう。まずは谷沢川です。ここは等々力渓谷が近くにありますから、そこからご紹介していきたいと思います。等々力渓谷を流れている川が谷沢川ですが縦に真ん中に環状八号線が走っています。等々力渓谷の終わりあたりに谷川橋が架かっていますが、その先は住宅がかなり密集していまして住宅の玄関がすべて谷沢川をまたいで入るような形になっています。個々の住宅に専用の橋が並んでいるのはおもしろい景色です。谷沢川は多摩川に入る前に、丸子川と十文字状に交差していますが、十文字状に川が交差する場合西から入ってきた丸子川の水は谷沢川と一緒に南へ流れてしまうので、ここにポンプを付け谷沢川の水をくみ上げて東へ流しています。水としては「丸子川は谷沢川だった」という話になりますね。多摩川に出るところでは、谷沢川、丸子川が合流して流れる水門がつくられています。谷沢川の等々力渓谷より上流、中町2丁目に姫の橋という橋が架かっていまして、そこに姫の滝という石碑が立っています。姫の橋から下流のほうを見ると、川が2筋に分けられているんですが、ここにはかつて何か浄化設備がつけられていてその名残でこういう形になっているということです。さらに上流の上野毛通のところには宮前橋、このあたりでは、両方を護岸された都市型河川の構造になっています。さらに上流に行きますと川岸にハナミズキ、桜並木が植えられ花の時期には美しい景色が見られます。さらに上流では246号線とぶつかってその先は暗渠になって用賀駅のほうへと続いています。

丸子川

 丸子川は先の谷沢川より少し南を流れている川です。丸子川も上流は暗渠になっています。丸子川は1614年世田谷地区から六郷地区への灌漑用水としてつくられた川です。六郷地区というのは近くの多摩川が海水を含んでいて米作に適していなかったので、上流から水を引いてきて米の収穫量を上げようという政策のためにつくられたのです。つまり人工の川ですね。もう400年も経っていますから人工という面影はありませんが。岡本に丸子川親水公園という公園があり、水辺で遊べるような公園となっています。

谷戸川

 谷戸川は丸子川の支流ということになっていますが、砧公園の中を通り小田急線のほうまで伸びている非常に複雑な経路をたどっている川です。途中東名高速の下をくぐったり、一部暗渠になったりと出たり入ったりしている形になっています。地上に出ている部分で岡本もみじが丘というバス停の横を通っているのですが、このバス停は水の上にできているのです。川をまたいでつくられていて非常にめずらしいと思います。谷戸川は最後はまとまって岡本静嘉堂の横を流れ先ほどお話したように丸子川にぶつかるということになります。非常に小さな流れですが長く細々と続いてるところにおもしろみがあるなと思います。

仙川

 仙川は水量が多く雄大な川です。水源をさかのぼると小金井市あたりまで伸びるようです。水源あたりでは細々とした溝のような流れですが、三鷹の水再生センターの処理水が放水されて水が増えているのです。世田谷区に入ると成城や砧のあたりを通り桜が楽しめる川となっています。浄化設備を各所に備えていまして、浄化した水をほかの川に供給しています。導水管を使って谷沢川の暗渠の部分につなぎ水を流している。谷戸川や丸子川にも水を流しています。多摩川系はそのような複雑な構造になっています。

野川

 野川は非常に多くのまちを通っている川です。水源は日立の中央研究所の中の大きな池、もう一つは真姿の池という湧水池です。これらの池の整備や川の流れの保存をかなり行政が力を入れて行っているというのが野川です。日立の研究所の後ろは線路が通っていまして、その下のトンネルを通って源流が流れてきています。多摩川は一級水系とみなされているので、その多摩川に注いでいる野川や先ほどの仙川も一級河川とみなされています。国内には14000くらい一級河川があって二級は7000くらい。野川は国分寺でスタートしまして、小金井市、三鷹市、調布市と続いています。狛江市、そして世田谷と6自治体を経由しています。野川公園というのがありまして、東京都は公園の清掃整備をしています。川幅が広く自然味が豊かで情緒ある景色が続いている川です。二子玉川の駅のそばで多摩川に合流しています。

呑川

 呑川は水がほとんど流れていないのに上流の一部で湧いている水と、浄化した水を集めて部分的に親水公園をつくり、あとは全部緑道になってしまっているという姿です。そこで清流復活というプロジェクトがありまして、緑が丘のところから流れが復活しています。そこにさまざまな家庭からの生活排水も加わって流れをつくっています。家の屋根に降った雨は雨どいを通って下水に流れますが、水道の定義では個々の家庭から出る水はすべて汚水ということになっています。降った雨がどこかに流れていくところがなければならないのでこのような流れに集まっていくようになっているのです。呑川は目黒区から大田区へ流れ、石川台を通ってほとんど池上まで一直線に流れていき、いかにも人工的なかたちになっていますね。

品川用水

 ここからは現在水が流れていない川のお話をしようと思います。品川用水というのは品川地区の水田に対する灌漑用水で、これは幕府直轄で工事が行われ短期間に開通したという川です。数年で完成しています。これは世田谷区のほうでは使わせてもらえなかったようで、水門を閉じたり、幕府のほうで厳しい監視をしていたようです。これは玉川上水を三鷹あたりから分流して引いてきたもので、川筋を見ると非常に面白いのですが、既存の川と一つもぶつかっていない。分水嶺の上を川として通していったのではないかと思われます。当時は水流もかなりあり、水車の動力として使われてもいましたが、次第に水田も少なくなり住宅が増え、川として残しておけないということになって、昭和20年代に世田谷区の中ではすべて道路にしてしまったんです。水源のあたりでは戦後の家庭菜園の農業用水として使われたという記録が残っています。品川用水が通っていた証として、世田谷通りに「北見橋」という碑が立っていますし、桜新町と駒沢3丁目にも「品川用水路跡」という碑が立てられています。野沢のほうに水車橋というバス停があり、その水車の水源は品川用水でした。バス停前のマンションのオーナーが水車工場のゆかりということで敷地内にその水車工場の偉業が掲示されています。このような新しい流れをつくるというのはいろいろなリスクも多いので、いたるところに水神様をつくったという資料も残されています。

九品仏川

昔は八幡中学校のあたり、バス通りからお寺側は大きな池だったんですね。昭和30年頃に埋められ住宅街になっていきました。九品仏の池ではボートに乗って遊んだ思い出があります。九品仏の池は人工的に掘ってつくったのではないかと言われています。やはり人工的につくったものは長持ちしないという気がしますね。ここを水源として呑川までつないでいたのが九品仏川でした。現在は緑道になっています。緑道に一つだけ「城向橋」という橋の名前が残っていまして、城というのはおそらく奥沢城を指していると思われます。私は今でもなくなった九品仏の池を懐かしく思っています。
昭和30年代の  九品仏池.jpg九品仏池(昭和35年頃)